こんにちは!公立中高一貫校合格アドバイザーのケイティです。
実際に受検したご家庭の取り組みを、「受検体験記」という形でご紹介いたします。
この体験記は、「親子がどのように受検に向かっていったか」という事実のリポートです。
ケイティサロンで関わったママさん・パパさん方から、親子の頑張りの軌跡を残す目的で、情報をお預かりし今回記事として紹介させて頂くことになりました。
どんな結果であれ、子ども達はみんな同じように一生懸命頑張り、保護者の方は関わりやフォローに日々悩み、ときにぶつかり、親子で乗り越え、本番当日を迎えました。
この受検体験記は、次年度以降受ける方にとって、何かしらのヒントが必ずあると思っています。
- お子さんの性格はどんなタイプですか?人柄や個性が分かるようなエピソードがあればあわせて教えてください。
- 塾に通っていましたか?
- 日々の学習は、どのように声掛けしていましたか?
- 受検生ご本人が本気モードに入ったのはいつ頃でしたか?キッカケはありますか?
- 勉強時間はどのくらいでしたか?(平日、休日、習い事のある平日などそれぞれ)
- 睡眠時間はどのくらいでしたか?
- 保護者が受検勉強に対してどの程度関わっていましたか?具体的に、どんなサポートをしていましたか?
- 塾と家庭の役割分担はどうしていましたか?
- 「もっとこうしたほうが良かった!」「早くこうすれば良かった!」と思ったことはありますか?
- 受検組ではないお友達とはどのようなお付き合いをしていましたか?
- 勉強しなくなった時期やスランプはありましたか?その場合はどのように対応しましたか?
- 受検勉強期間で、保護者にとって一番のストレスは何でしたか?
- 過去問(志望校とそれ以外)はどの程度取り組みましたか?
- テレビやゲームなどの制約はありましたか?
- 模試はどのくらい受けましたか?また、結果はどうでしたか?
- 苦手科目はどのように克服しましたか?
- 理科や社会はどのように勉強しましたか?
- 学校の先生とはどのように連携を取っていましたか?
- 私立併願はしましたか?
- 次年度受検する方に向けて、最後に何かメッセージがあれば、お願いします♬
お子さんの性格はどんなタイプですか?人柄や個性が分かるようなエピソードがあればあわせて教えてください。
一度決めたことは最後までやりとげる、まじめな性格です。
4年生のころ私立型塾に通塾していました。最初は成績が良かったのですが、途中から急降下。毎週宿題は3回繰り返し、とにかく努力していたのに成績がのびず、テスト結果が発表されるたびに大泣きでした。
毎回塾から帰宅する時にメールをくれていたのですが、そのメールは、「今回も出来なかった😂」ばかり。帰宅後の本人はいつも泣いていました。
そんな中、塾の帰り道に母から本人に、「こんなに努力していて成績がのびないなら、塾のクラスを下げてもらうか、レベルを下げた塾に転塾しようか?」と提案しました。
しかし本人は、「成績が良くてさらにあげるための転塾は意味があるけど、この場から逃れるための転塾はしたくない。それをすると、これからの人生でも逃げることになりそうだからいや。」と言いました。
その言葉で、本人の本気度を再確認し、母としては、「ママも必ず成績をあげるために頑張る。」と伝えました。
それからは、インターネットなどで様々な勉強法を探しては、本人に試してもらい試行錯誤の繰り返しでした。
4年生の一年間は毎週のように本人は悔し泣きで、親も悩みました。しかしそこで試行錯誤したことが、適性検査の勉強に本当に役にたちました。
塾に通っていましたか?
幼少期から2年生は公文または学研。
3年は都立専門塾に週1回と、私立型塾に週1回。
4年は私立型塾に週2回。
5年は私立型塾に週3回。
6年は都立専門塾に週2回。
日々の学習は、どのように声掛けしていましたか?
前日までに母がスケジュールをたて、それを本人は確認して自分でこなしていました。
こなせなそうな時には、「出来ない分は明日で大丈夫だよ。」と伝えて、その日の優先順位をつけていました。
受検生ご本人が本気モードに入ったのはいつ頃でしたか?キッカケはありますか?
6年生の11月ごろ。京都の適性検査過去問で本人が解けない問題があり、家族みんなで解いていたときのことです。
なかなか解けなかったのでサロンに解説希望を投稿しようという話になりました。
すると弟が、「考えたいから絶対投稿しないで!」と一言。
その後、下校にも考え続け、2日かけて正解を導き出しました。
科目は算数だったのですが、解答だけでなく図もわかりやすく書き家族に説明しました。
他人とは比較しない性格ですが、さすがに弟に先を越された時にはくやしがりました。それから意識がかわり、本気モードになりました。
勉強時間はどのくらいでしたか?(平日、休日、習い事のある平日などそれぞれ)
- 4年生と5年生、6年生春頃
平日 朝1時間
下校後 4時間
休日 朝1時間 午前中3時間 午後4時間 - 6年生夏休み
朝 1時間半 午前中3時間 午後5時間 - 6年生冬
朝2時間半 下校後4時間 - 1月
朝2時間半 午前中3時間 午後5時間だいたいこの時間が多かったです。しかし、日によって出来ないこともありました。
睡眠時間はどのくらいでしたか?
7時間半。
保護者が受検勉強に対してどの程度関わっていましたか?具体的に、どんなサポートをしていましたか?
日々、勉強スケジュールをたてる。進歩状況確認と丸つけ確認。
成績が落ちた時には対策を考えて、本人にためしてもらう。
父は普段かかわる時間はとれなかったのですが、本人がわからない問題があると、朝の出勤前や休日には積極的に問題を解いて解説しました。
今回ご紹介したご家庭のように、パパさんが難問解説に積極的に携わっているご家庭は、理想的だと思います✨
塾と家庭の役割分担はどうしていましたか?
塾は新しい勉強を教えてもらう場所、家庭は、塾で教えてもらった内容を本人の理解度にあわせて勉強方法を考えて定着させる場所、と考えていました。
そのため成績が上がらない時には、母が本人にあう勉強方法をあれこれ調べて考えていました。
「もっとこうしたほうが良かった!」「早くこうすれば良かった!」と思ったことはありますか?
4年生から受験勉強中心で、体力不足でした。
やはり、直前期は、勉強体力はあっても、実際の体力がないと眠くなったりすることが多く困りました。
何か体力をつけるために運動は続けておいた方が良かったと思います。
勉強では、銀本を真剣に解き出すのが7月からになってしまい、かなり遅かったと後悔しています。5年の後半からは出来る問題はすすめておくべきでした。
ケイティサロンに早くから入っておくべきでした。
受検組ではないお友達とはどのようなお付き合いをしていましたか?
放課後遊んでいた頻度は、 3年生までは毎週1〜2回程度。 4年生は月に1度程度。(塾のテスト回数が増えて、テスト勉強でなかなか遊べなくなりました。)
周りの友達は遊んでいたのでよく誘われていましたが、本人は、「その日の勉強スケジュールが残っているのに遊んでもつまらないから遊びたくない」と言って、本当に時間があるときしか遊びませんでした。
ママ友からは、「少しでも遊べるとうれしいな。」と言われることもありましたが、それを本人に伝えても気持ちはかわりませんでした。
5年生は3ヶ月に1度程度(仲の良い友達グループは受験勉強で忙しくなりました。遊ぶなら、ゲームのネット通信くらいという子が増えました。本人は、ゲームをすると目が疲れてしまうからほとんどしませんでした。)
6年生はほとんど遊んでいません。
こんな生活でしたが、学校では仲良しグループで遊んでいて友人関係は良好でした。
合格後はそれまでの3年間を取り戻すように遊んでいました。
勉強しなくなった時期やスランプはありましたか?その場合はどのように対応しましたか?
スランプは4年生の秋ごろ。どんなに勉強量を増やしてもどんどん成績が下がりました。
その時には、インターネットなどで母が様々な勉強方法を探して本人に試してもらいました。その中で成功した方法があり、そのあとは成績が急上昇。それ以来安定しました。
勉強をしなくなったのは6年秋ごろ。
学校では運動会練習がはじまり、6年生としての役割が多くとにかく帰宅後は疲れていました。そのため、勉強したくても体力がなく出来ない状態が1ヶ月程続きました。
その頃は、朝の勉強と、帰宅後は1時間くらいしか出来ない時も多かったです。
ケイティ先生のYouTubeで、魔の秋のことは知っていたので、母は本人に、「あっ、うちにも魔の秋がきたねー。」と言ったら、「プラス思考すぎ。」と怒られました。
親としてはなるべく気持ちに寄り添うように心がけていました。疲れていたら、帰宅後塾がなければすぐに入浴させました。
そんな状況は、運動会終了後しばらくするとなくなってきました。
受検勉強期間で、保護者にとって一番のストレスは何でしたか?
計画していた長期的な勉強スケジュールがなかなかすすまない時。
また、本人の成績が上がる方法を考えて試してもなかなか成績が上がらなかった時。
過去問(志望校とそれ以外)はどの程度取り組みましたか?
- 銀本
2022年版は6年6月頃から理科と算数を少し。
2023年版は適性検査Ⅱ、Ⅲを2回。 - 志望校以外の都立・区立
適性検査Ⅱ、Ⅲは5年分を1回。 - 武蔵過去問
10年分1回。
その後 2015年以降の2回目は、適性検査ⅡとⅢは全問を母に対して説明。方法
①全問問題を読み線を引く部分を説明(線引き部分はサロンの投稿を参照)
②解き方の口頭説明(図などわかりにくい部分はホワイトボードに書く)
③3回目は時間を短縮して解く。 - 横浜南・サイエンスフロンティア過去問
適性検査ⅡとⅢを1冊 - 千葉過去問
社会のみ1冊 - 千葉市立稲毛国際中等教育学校過去問
少し
テレビやゲームなどの制約はありましたか?
特にありませんが、見れる時間は食事の時くらいでした。
息抜きは必要なので、YouTubeを夕飯時のみ直前までみていました。
ケイティ先生のYouTubeや、弟が大好きなナゾトキ系YouTubeなど。そういった動画は適性検査の問題に役立つこともありました。
ゲームは3年生の頃少しやりましたが、目が疲れる為ほとんどやりませんでした。
模試はどのくらい受けましたか?また、結果はどうでしたか?
12回くらい。
通塾していた塾の模試は8割位は成績優秀者。
志望校別合判は1回目はB、2回目はA
苦手科目はどのように克服しましたか?
作文が苦手でした。ケイティサロンの作文講座を利用しました。ここで一番力がつきました。ケイティ先生には本当に感謝しています。
3年生の頃までは本をあまり読みませんでした。そのため国語が苦手。
対策は、工作など好きなジャンルの本を購入したり、説明書つきのブロックを購入したり読みたくなるものを増やしました。
小学生新聞、ジュニアアエラ、ニュースがわかるなどを購入してリビングにさりげなく置いておきました。
中学受験で投稿されている先生や、サロンでのおすすめ本はチェックして読ませていました。そんなことをしているうちに、自然に本が読めるようになりました。
理科や社会はどのように勉強しましたか?
理科は、自宅にて実験出来るものは材料を100均などで購入して行いました。
社会は武蔵の過去問をといたくらいです。
学校の先生とはどのように連携を取っていましたか?
一学期末の個人面談時、都立受験が第一志望と伝えました。
その際、先生は、「都立は受かると思っていた子でも残念な結果をたくさんみてきました。万が一の場合の受け皿だけは考えておいて下さい。もし、学区外の中学にいくなら課題があるので年内に教えて下さい。なんでも相談にのりますので、心配なことがあれば言ってください。」と言われました。
二学期の自由面談では、三学期のお休みの相談をしました。
先生からは、「学校の授業は入試後にいくらでも挽回できますが、試験だけはそうはいかない。あのとき休んで勉強しておけばよかったという後悔だけは絶対にしないようにしてください。」と言われ三学期の受験前のお休みを決断しました。
しかし、「学校を直前に休むとおちるというジンクスがあるよね。」と言う人がいてそんな言葉にどうしようかと悩みました。本人に最終どうするか聞いたところ、「三学期は休むと決めたんだから、家で勉強したい。」とのことでした。
休むなら毎日当日の試験時間にあわせて勉強しようと母と本人で決めました。
私立併願はしましたか?
浦和実業学園中学校、聖徳学園中学校。
次年度受検する方に向けて、最後に何かメッセージがあれば、お願いします♬
適性検査の勉強をして、思考力や日常生活においても難問に取り組む忍耐力がついたと実感しています。
適性検査はとてもいい勉強でした。
受検勉強はいい時よりも大変な時が多いかもしれません。
しかし、大変な時には、これを乗り越えられたら目標にまた近づけると思って前向きに進んでください。
困難と闘った人には必ず幸福が待っています。
小学六年生の時期に、家族で一丸となって高い目標に向かって取り組む経験は、何事にも代えがたい宝物になります。厳しい世界ではありますが、最後まであきらめずに、できることを全力でやっていきましょう!